新しいことを学ぶとき

 

 最近、数学の分野の一つである「統計学」というものを勉強し始めた。

 高校の範囲にもあるにはあるが、必修ではない単元で、受験に向けてそれを勉強する人など皆無だろう。だから勉強し始めたのも、授業に役立てるためでは全くなく、単純に自分の興味だけからであった。

 その勉強を始めるに当たって俺は、その統計学について書かれた本を何冊も用意することから始めた。まず、高校の教科書とその解説本。次に、一般の人向けに絵や図をふんだんに取り入れて書かれた、あまり厚くない本。さらに、大学の授業で使った、難しい数式のたくさん書かれた分厚い本。・・・そう、俺はそれを大学で勉強していたはずなのだ。出席はしていたものの講義はちんぷんかんぷんで、単位をもらえたのが不思議だった。

 さてそれらの本をどう使うか。まず高校の教科書をざっと読む。問題は解かないし、分からないところがあっても立ち止まらない。最初から最後まで一気に読む。その教科書自体はあくまで高校生が学ぶものだから、自分にとって難しすぎることはないだろう。一気に読むことで、まず全体像をつかむことを第一とする。

 全体像が大体つかめたら、次に一般向けの本を読む。よく社会人向けに「図解・経済学がよく分かる」みたいな本があるが、その類の本である。そこで問題も多少解きつつ、理解していく。大まかな流れを大体つかんでいるから、気持ちが楽である。

 大学で使った本は、その一般向けの本では省略されていた数式の証明が気になったり、もっとたくさんの例がないか探してみるなど、いわば参考書代わりに使う。

 このような感じで、いろいろな難易度の本をうまく使い分けて、同時並行で読みながら理解していく。それが俺にとって一番理解しやすい。もしも飽きずに続けられれば、一般向けの本に書かれた程度の内容は大体理解できるようになるのだろう。

 ひるがえって、教師である自分が授業をするということは、つまり生徒にとって毎回未知の分野を学ぶということである。今この統計学を学んでいる自分の感じるいろいろな気持ちが、そのまま生徒の感じる気持ちなのだろう。そんなとき、生徒にとってどのような授業をしていくのが一番いいのか、改めて考えてしまう。

 自分自身は、まず最初に全体像を大ざっぱにつかまないと不安になるタイプなので、教師が最初に「今日の授業の内容」とか「この単元の目的」とか、簡単にでいいから話してくれれば、安心して授業を受けられる。だが人によっては全体像をつかむのは大変だから、今目の前のこの問題をまずは解けるようになりたい、という人もいるだろう。だから俺自身は意図的に、授業では「全体像」を話さないようにしている。

 また、同時並行でいろいろな本を読んでいくというのも、俺にとってはいろいろな視点が持てて横の幅が広がり、理解しやすくなるからそうしている。だがこれも人によっては混乱の元となるから、一つの本だけをみっちり取り組みたいと考える人も多いのかもしれない。

 もちろん、合うやり方は人それぞれだと思うのだが、俺のこの考え方、あるいは今後の自分の授業形式をどうするべきか、自分が「生徒」の側に立ってみるときに改めて感じる疑問である。

 

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(2004.10.15)

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